こんな方におすすめ
- 実体験ベースの異文化エピソードを知りたい読者
- 方言の違いをリアルに感じたい旅行者・留学生
- 海外でのトラブル体験を学びに変えたい人
中国語を学んでいると、誰もが一度は「発音が難しい」「声調が覚えづらい」といった悩みに直面します。しかし、実際に中国へ行って話してみると、もっと根本的な“通じない”という現実に直面することがあります。
それは、中国語には数えきれないほどの方言が存在するということ。日本の方言の比ではなく、同じ中国人同士でも意思疎通ができないケースすらあるのです。
今回は、私自身が現地で体験した「普通話(標準語)が通じない」衝撃の出来事をもとに、中国語の方言の奥深さ、そして異文化の現実についてお話しします。
目次
北京語=普通話はあくまで“基準語”にすぎない
「中国語=北京語(普通話)」と思っている人は多いでしょう。学校の教科書でも、NHKの語学番組でも、すべて“普通話”が前提です。
たしかに、中国政府が公式に採用している「共通語」は北京語をベースにした普通話です。これは日本における標準語と同じように、国の共通コミュニケーション手段として定められています。
しかし、実際の中国はあまりにも広大です。56の民族、22の省、そして無数の都市・村が存在し、それぞれが独自の文化と言語を持っています。
たとえば、広東省では「広東語」、上海では「上海語」、福建では「閩南語」、湖南では「湘語」、さらに内陸部では西南官話など――発音も語彙もまるで違います。
そのため、「普通話が話せれば全国どこでも通じる」というのは幻想に近い。
実際には、地方によって“全く別の言語”レベルの違いがあるのです。
中国人同士であっても、故郷が違えば会話に字幕が必要なほど。テレビの地方ニュースで“普通話字幕”がつくのも珍しくありません。つまり、「共通語」と「現地語」は明確に分かれているのです。
標準語が通じない!?タクシーでの衝撃体験
私がその「言葉の壁」を痛感したのは、2010年前後、中国の地方都市を旅していたときのことでした。
当時の私はまだガラケーを使っていて、地図アプリもほとんど存在しない時代。紙の地図とホテルの住所を頼りに、空港からタクシーに乗りました。
「这里,请去这个地方(ここへ行ってください)」と普通話で丁寧に伝えたつもりでした。
しかし、運転手は眉をひそめ、首をかしげている。もう一度、今度はゆっくり言い直しても「听不懂!(わからない!)」の一点張り。
その後も地図を指差しながら何度も説明を試みましたが、反応は薄く、しまいには「我看不懂(読めない)」と吐き捨てるような口調。
仕方なく、「とりあえず走ってくれ」とジェスチャーで伝えると、彼は不満そうに発進。ところが途中で突然停車し、「ここから先はわからない」と逆ギレ気味に降車を促してきました。
私はその時、衝撃よりも恐怖を感じました。
言葉が通じない、地理もわからない、スマホも使えない。頼れるのは自分の勘と紙地図だけ。
しかも中国語をある程度話せるつもりでいた自分が、全く通じない――この現実はプライドを粉々に砕きました。
後でわかったことですが、その地域のタクシー運転手たちは地元の方言しか話せず、普通話教育を受けていない人も多かったのです。
つまり、同じ「中国語話者」でありながら、相手の言葉を理解できない。
外国人どころか、同じ国の人間同士でも意思疎通が難しいという現実に直面した瞬間でした。
方言の存在は「教育格差」と「文化の多様性」を映す鏡
この経験を通して痛感したのは、方言の背景には単なる言葉の違いだけでなく、教育格差や地域の歴史が深く関わっているということです。
中国では義務教育の中で普通話が教えられていますが、その普及には地域差があります。都市部ではテレビ・学校・ビジネスで普通話が当たり前に使われますが、地方の小都市や農村部では「家でも学校でも方言」が主流というケースがまだ多いのです。
方言を話す人々にとって、それは単なる言葉ではなく“自分のアイデンティティ”。
特に年配者ほど、普通話を「外の言葉」として受け止める傾向があります。
一方、若い世代はテレビ・ネット・SNSの影響で普通話に触れる機会が増え、世代間での言語ギャップも生まれています。
このように、中国語という巨大な言語体系の中では、方言は「文化の多様性」と「社会の変化」を象徴する存在でもあるのです。
今なら通じる?15年で変わった中国の言語事情
あれから15年――中国は驚くほど変わりました。
スマートフォンの普及、翻訳アプリの進化、教育の均一化によって、地方でも普通話がかなり浸透しています。
最近ではタクシー運転手でもスマホナビを使い、外国人観光客とのコミュニケーションも格段にスムーズになりました。
それでも、地方へ行くと今でも方言の壁は残っています。
「あなたの発音がちょっと違うから聞き取れない」と言われたり、「同じ単語でも方言では全然違う意味になる」なんてこともある。
つまり、中国語学習者にとって“通じない体験”は今でも貴重なリアル学習の場なのです。
まとめ
今回の体験を通じて学んだのは、言語とは単なる伝達手段ではなく、文化そのものだということ。
方言があるということは、そこに生きる人々の暮らしや歴史があるということでもあります。
「通じない」ことを恐れるのではなく、違いを知り、楽しむ姿勢こそが本当の国際感覚なのかもしれません。
そして何よりも、2010年のあの夜、タクシーでのすれ違いがあったからこそ、私は今でも中国語を学び続けています。
「言葉は人を知るための鍵」。その意味を、身をもって感じた出来事でした。