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30社の輸入業務と海外営業の挫折が教えてくれた、あの当時の自分

内山剛@外国語独学30年

2006年 東京外国語大学中国語学科卒
山口県ゆめ回廊通訳案内士(中国語、英語)
HSK6級195点(2021年)TOEIC825点 (2022年)

現在は韓国語、ベトナム語を独学で学習する独男。

詳しい経歴に関しては定期的に記事を書いていますのでよかったらご覧ください。

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このブログを通じて皆様のお役に立てたらと思っています。

こんな方におすすめ

  • キャリアに行き詰まりを感じている若手社員(特に30代前半)
  • グローバルな職務に挑戦したいと考えている若手社員
  • 職場のストレスやプレッシャーに悩む人々

大学を卒業してから、私はいくつかの挑戦を経験してきました。最初に入ったのは、国際物流の企業で営業兼カスタマーサポートを担当していた時。仕事は忙しく、時には月100時間の残業をこなすこともありました。英語力はTOEIC 720点と、悪くはないものの、実際に使う場面では思うように力を発揮できず、少し物足りなさを感じていました。その後転職したのは、輸出機械メーカーでの海外営業という部署。ここでは英語を使う機会が増え、やりがいも感じましたが、同時にメンタル的に大きな挫折を経験。

あの時期は本当に辛く、もう駄目かと思うことも多かったです。それでも、この経験が今の自分を作り上げる土台となり、今では中国語コンテンツやコンサルティング、メルマガの発信といった新たな挑戦をしています。このブログでは、私が経験してきたことを少しずつお話ししながら、皆さんの参考になるようなことを伝えられればと思っています。

1社目:国際物流企業での営業兼CS担当

大学卒業後、私は国際物流企業に入社し、営業兼カスタマーサービス(CS)担当として勤務を始めました。私の主な業務は、輸入業務に関する全般的な対応であり、顧客対応をはじめ、契約管理、スケジュール調整、輸送手配など多岐にわたりました。特に、担当企業が30社に上り、その分業務量も非常に多く、プレッシャーを感じながらの毎日でした。残業も多く、最も忙しい時期には月に100時間を超える残業をこなし、心身ともに疲弊していきました。

大学時代にTOEICで720点を取得していたものの、実際の業務ではそのスコアが自分の思うように活かせるわけではありませんでした。ビジネス英語あるあるにはなりますが、テンプレートが決まっているのでそれさえ押さえておけば誤字脱字があろうとも伝わってしまいます。まして連絡する相手の国も英語ネイティブではなく日本と同じような第二外国語で英語を使用するような国ばかり。少々おかしい英語でもコミュニケーションできてしまう、という良し悪しの面があったなぁと今でも感じます。また、英語のメールや電話のやり取りはできるものの、瞬時に正確なコミュニケーションを取るには、まだまだ力不足であることを実感しました。それでも業務に追われる中、ひたすらこなしていくことが求められ、達成感とともに自己成長の実感は薄れたままでした。

最初の1~2年は、仕事をこなすことに必死で、「やっていけている」と感じていたものの、次第に「本当に自分はこれをしていて成長しているのだろうか?」という疑念が湧いてきました。心の中で何か満たされない感情を感じながらも、忙しさに紛れてその不安に向き合うことができなかったのです。最初の数年間は必死に働くことに集中しましたが、その反動として、次第に心の中で「自分の限界」を感じ始めていたのが事実です。

2社目:輸出機械メーカーでの海外営業担当

家庭の事情もあり、私は前職を離れ新しい職場へと旅立つことに決めました。3年目になる年です。転職活動も1年程度続けてきました。もう20年前の話なので今のようにエージェントありきではなく大手転職サイトで求人を探してメールを書いて、履歴書を送るという新卒の就活とあまり変わらないような活動だったのをよく覚えています。決してうまくいったとは言えませんでしたが、実家の近くの企業に内定をもらえたということが喜びの1つだったのを覚えています。(勿論業務内容もですが。)

転職後、私は輸出機械メーカーの海外営業部門に配属されました。この転職は自分にとって大きな挑戦でした。前職で培った英語力を活かし、さらにスキルを磨くことができると期待していましたが、現実は期待以上に厳しいものでした。特にこの経験は私の人生で3度目の挫折であり、最もメンタルをやられた瞬間でした。

私は海外営業という重要なポジションに配属され、国際的な展示会への出張や海外顧客との商談、製品説明を行う役目を担うことになりました。最初は、自分が活躍できるチャンスだと前向きに捉えていました。しかし、現実は非常に厳しく、特に英語力の不足が思いのほか大きな壁となりました。

私の英語力は当初、ライティングには対応できていましたが、会話においてはかなりの壁がありました。特に、アメリカ人との商談では、スピードや表現方法についていけず、自信を大きく失いました。ネイティブスピーカーとの会話で感じた自分の無力感は非常に強烈で、自己評価が急激に低くなりました。会話の流れに乗れず、うまく伝えられなかったことが何度もあり、その度に自分の限界を痛感しました。

また、業務の負担も増し、同僚の退職によって、私に振り分けられる仕事の量は増え、同時にプレッシャーも倍増しました。特に、自分が担当していたエリアでは、日本、台湾、ドイツ、フィリピンなどへ出張し、海外顧客への対応を一人で行う場面が多く、状況に追いつくのが精一杯でした。多くの場面で自信を持って行動することができず、精神的に追い込まれていきました。

加えて当時の大切な業務内容の一つに、エンジニアが作成した資料の英訳がありました。しかし、当時は今のような翻訳アプリやツールもなく、ただ英訳するだけでは意味が通じないことも多く、内容に不明点があればエンジニアに確認しに行かなければなりませんでした。しかし、当時の私はそのコミュニケーション能力が十分ではなく、適切に聞きに行くことができず、どうしても時間がかかりすぎてしまうことが多かったです。業務を効率的に進めるためのコミュニケーション力が不足していたことが、最終的には自信を失う結果となりました。

メンタル的には、自己不信とプレッシャーが重なり、最終的に「自分はこの仕事を続けていけるのだろうか?」という疑問に囚われ、退職を決意することになりました。自分が果たすべき役割を全うできなかったことに対して非常に悔しく、また、周囲の人々の期待に応えられなかった自分に対して強い焦りを感じていました。

その後、この経験が今の自分に与えた影響は非常に大きく、挫折から学んだことも多いです。しかし、あの時の苦しさや精神的な疲れは、今でも忘れることはありません。私にとって、2社目での経験は人生で最も辛い時期であり、メンタル面での成長に繋がった一方で、その過程が非常に痛みを伴ったものだったと言えます。

まとめ

この自伝的な内容を通じて、私は若い頃に経験した挫折やメンタル面での困難をどのように乗り越え、どのように成長してきたかを振り返りました。20年前の当時は「中国語コンテンツ作成」や「コンサルタント業務」といった自分自身のビジネスに対する意識はありませんでしたが、今振り返ると、その経験がすべて現在の活動に繋がっています。特に、グローバルな業務や異文化理解、語学力を駆使した業務は、現在私が行う中国語コンテンツやメルマガ、さらにはコンサルタント業務において欠かせない基盤となっています。

これから転職を考えている方や、海外営業に挑戦したいと考えている若手社員、また職場でのストレスに悩んでいる人々にとって、この経験が少しでも役立つことを願っています。挫折から学んだことを実践に活かし、前進する力を与えてくれる一歩となることを信じています。

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